Photo By Koichi Taniguchi
「ボケナス」 の由来
- 外皮の色つやのあせたナス。
- ぼんやりした人を罵っていう言葉。
つまり、食べるのには適さないようなナスのことなのだろう。
しかし、ナスは前回書いたかもしれないけど便利で正しい野菜。
ほっておけばいくらでも成るし、収穫してもすぐに次の花が咲いて実がなる。
収穫時期も分かりやすいし(色ですぐわかる)虫もそれほどつかない。
唯一、食べ方が限られることくらいがネックなだけでその点も、もしかしたら料理の出来ない私だから考えるだけかもしれない。
そのナスがボケるって、意味がよく分からないんだけどそれを人間に例えると、ぼんやりした人に例えて言うのだそうだ。
なぜそうなるのかは、きっと由来を調べてみれば分かるはず。
ボケナスの由来
ナスはあまりに環境のいいところで育てると実をつけなくなってしまうのだそう。
それを「ボケナス」といいます。
育ちがいいと実を結ばないと・・・
このことをどのように解釈してみればいいかというと、
植物にとって「実をつける」というのは子孫を残すための手段。
環境がよすぎて自分に命の危険がなければあせって実をつける必要がないというわけ。
それをまたまた人間に例えてみると、温室の中のように何不自由なく育つ、いわゆるお坊ちゃん(お嬢ちゃん)てこと。
そこから、何にもできないでいる人のことをボケナスと呼ぶようになったそうだ。
それが更に転用され、「ボケナス」は広くとぼけた人をさすようになる。
確かに人間でもニートなどのように自分ひとりの生活を満喫しとくにお金の不自由もないと結婚も考えず、生涯独り身で暮らす道を選びがちですよね。
んん・・・これは俺のことか・・・
そう考えると、ボケナスなるほど!といった感じ。
カボチャなどの瓜科植物にもこういった性質はあるのだそう。
確かにカボチャやスイカは荒地に埋もれているイメージがあるし、ツル系のものもそういった性質を感じさせるような暮らしを送っているようにみえる。
そういったことから発生した言葉もあるそうで、ツルばかり伸ばして実のならないカボチャを例えて「ツルボケ」なんて呼ぶのだそう。
雑草魂って言葉がある。
私の父が好きだった言葉で、意味は、高学歴・エリート・サラブレッドではなくその辺に生えてる雑草のような生い立ちの者が努力して這い上がる根性のような物をさす。
とかく現代人には、根性って言葉が失われている気が私はする。
よくいう、打たれ弱いって表現にも繋がっているかもしれませんね。
我慢てのもきっと同じ類。
経験てのはやってみないと分からないってことで、百聞は一見にしかず。
外に出て、様々な体験をすることが知識や能力の向上に繋がるってことなんだと私は思う。
ところがその第一歩がなかなか踏み出せないのも事実。
特に人と人とのコミニケーション。これが一番難しい。
私も今まではあまり外に出なかったのですが、最近考え方を変えていくつかの役職を引き受けて飲み会などにも積極的に参加するようにしてます。
するとどうでしょう。
必要にかられて、苦手だった電話の応対も普通にこなし、知り合いもどんどん増えていきました。
人前に出るのも億劫でなくなったのです。
色んなことを考え過ぎる、気を遣う、結果疲れる。
もちろんそれは失態であり失敗であり過ちを回避するためである事に間違いありません。
そういったものはある意味で、心の傷と言えましょう。
人間は愚かな生き物なので、何度か失敗を繰り返すことで成長していくもののようです。
心でも体でも傷がつけば治癒能力や免疫力がつくもの。
傷つくことを怖れずに、社会に飛び出してみましょう。
今までの悩みが嘘のように消え、心が大きく成長していくことでしょう。
ボケナスのような ぼんやりした人生を送りますか?
顔の肌艶の良い周りに必要とされる生きてる実感のある人生を送りますか?
匿名 - 2016年6月22日, 4:11 PM
このボケナすがぁーーーー!
仕事しろぉーーーーーー!
パソコンからはなれろぉーーーー!
byきゅーと¥
ナス農家 - 2017年8月13日, 7:41 PM
はじめめして、ナス農家です。
ナスは前回書いたかもしれないけど便利で正しい野菜。
・仰る通りです。
ほっておけばいくらでも成るし、収穫してもすぐに次の花が咲いて実がなる。
・放任だと収量は直ぐに落ちます。
収穫時期も分かりやすいし(色ですぐわかる)虫もそれほどつかない。
・たしかに収穫時期は実の成長を見ればすぐにわかります。
・虫、病気に弱い植物なので10日に1回くらいの間隔で消毒しないと虫だらけです。
失礼いたしました。