「ムヒ」 の由来
虫さされ薬「ムヒ」の名前の由来がすごい。
「唯一無比」「天下無比」など、比べるものがないほど優れた効き目の商品という意味を込めた「無比」からつけられたのだそう。
ちなみに販売しているのは越中の売薬だった池田嘉市郎によって創業された池田模範堂。
この会社の名前の由来がまたすごくて、「社会の模範になろう」という意味からきているらしい。
なんという自信だろう。
かゆみ、虫さされ、かぶれ、しっしん、じんましん、あせも、しもやけ、皮ふ炎、ただれ・・・
まぁ痒みならなんでもござれといった具合だ。
ムヒの歴史は深く、1926年(大正15年)に缶入りのワセリン軟膏として発売されたころまで遡る。
1927年にチューブタイプ、1931年には新処方の白いクリーム状製品を発売。
その後液状タイプなども発売しラインナップを増やし、現在に至る。
さて今日は少し商品を離れて話を進めたい。
越中といえば富山、つまりムヒも富山の薬売から生まれた商品である。
では、なぜ富山の薬はよく効くと有名なのか。
薬種商の始まりはどうやら室町時代の頃らしい。
その薬種商が富山で始まったのは16世紀中ごろだという。
加賀藩から分藩した富山藩は参勤交代や江戸幕府の委託事業などで財政難に陥っていた。
そこで富山藩は経済基盤をつくるために売薬商法に力をいれ起死回生を図ろうとしたというわけだ。
18世紀になると売薬は藩の一大事業にまで成長し、藩の援助と取締りのもとで越中売薬は種類を広げながら確実に成長を遂げていった。
しかし明治の世となると漢方医学の廃止とともに富山売薬も苦境に立たされる。
そこで1886年には視点を国外に移し輸出売薬を開始することになる。
これによって再び輸出売薬は大きく伸び、数多くの国々と交流を持つ。
1914年には売薬の調整・販売が出来るものの資格・責任を定めた「売薬法」、1943年には品質向上確保のため医薬品製造はすべて許可制とする「薬事法」、1960年には薬事法が改正され、医薬品配置販売業が法文化されるなど、20世紀に入ると売薬に関する制度や法律が次々と整備される。
もちろんそれらによって富山の薬売も少なからず影響を受けて今の世に繋がってきている。
しかし、「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念は失われることはない。
先用後利、つまり家庭に薬を常駐させておいて使用後に代金を徴収するというやり方は今の今まで続いてきている。
実際に私の実家にも富山の薬箱があり、緊急を要するときなどは特にそこから薬を引っ張り出しては使わせていただいている。
その効用も抜群なので、申し分ないというのが本音だ。
昔は貨幣の流通が十分ではなかった。貨幣を持たない庶民にとって医薬品は家庭に常備することはできず、病気のたびに商業人から買わざるを得なかったという。
こうした背景の中で医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらうというこの先用後利システムは画期的であったし、それ以上に庶民の強い味方だったことだろう。
そうしたご恩を忘れない日本人によって今なお「越中の売薬」「富山の薬売り」という言葉が心に刻まれているのかもしれない。
その心だけは消費者も、生産者も驕ることなく忘れずに次の時代に伝えてほしいものである。
名無しさん - 2017年5月27日, 1:31 PM
へー、そうなんだー(棒読み)