「しぐさ(仕種・仕草)」 の由来
近い人が亡くなった時、あなたはどのようにその故人を思い出すであろうか?
私はそれは「しぐさ」ではないかと考えている。
■「しぐさ(仕種・仕草)」の由来
「しぐさ」とは、何かをするときのちょっとした動作や身のこなしのこと。
そこには、人それぞれの独特の雰囲気というものが宿っている。
それは生活習慣から、考え方から、そして老年期においてのそれは骨格から生まれると思われ、更にそこに先人からの意思も伝えられているから、自然と人生を長く共にした親に似てくるのではないかという私の仮説。
思い当たることがある人は意外に多いのではないかと思われる。
「しぐさ」の漢字は「仕草」だと思っていたのですが、どうやら「仕種」と書く方がおおいよう。
「し」は「する」の変化形で「仕」は当て字、「くさ」は種類のことを意味するために「仕種」と書くようです。
やはり仕草は千差万別、人それぞれ、無数に存在すると考えると納得できるのではないでしょうか。
さてこの先はいつもと少し変えて、私自身が参考になった江戸しぐさというものを取り上げてみたいと思います。
文明の発達していなかった時代ですが、逆にお互いの存在に敬意を払う公共マナーが存在していたようです。
現在の社会に照らし合わせると、どちらの時代の方が争いが少なく住みよい環境であったかということを色々と考えさせられます。
例えば「うかつあやまり」
これは相手に自分の足が踏まれたときでも、「すみません、こちらがうかつでした」と踏まれた人が先に謝るというマナー。
悪い方にバツ悪く謝らせる前に、被害を受けた方が先に謝る。
うまく考えられたものですね。お互いに気分を悪くすることなどありえません。
現代だったら包丁で刺されてしまう可能性すらあります。
例えば「傘かしげ」
これは雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。
これは現代社会の車のすれ違いにも応用できるでしょう。
狭い道はお互いに譲り合う、遅い車は左に除ける、
自らが引くことでお互いが気持ちよくいられます。
その道路にも江戸時代は「七三の道」というしぐさもありました。
これは道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは常に道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備えてあけておくというもの。
こうすれば救急車は何の迷いもなく目的地に直行できます。
誰でもそういった可能性ははらんでいるもの。
明日は我が身の気持ちで心掛けたいものですね。
そして最後は「時泥棒」
これは一番心に突きつき刺さりました。
読んで字のごとくの江戸しぐさ。
約束なく相手を訪問したり、また約束の時間に遅れるなど相手の時間を奪う行為は重い罪(十両の罪)にあたるというのがこれ。
固定電話、さらには携帯電話の普及でわれわれ現代人の忘れがちなマナーではないでしょうか。
自らの行動を早めるために用いられる道具がいつの間にかトラブルのもと。
個人の都合を優先せずに公共を意識してモラルの向上に努める。
今まさに求められているのがこういった「江戸しぐさ」のようなものなのかもしれません。
子は親の背中を見て育ちます。
一人一人がそういった姿を見せて国家のモラルが向上しそれに伴って治安が良くなることを祈りつつ私自身は子孫が思い出す私の仕種がそうあってほしいと願うのでした。
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