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「ふざける(巫山戯る)」 の由来
おふざけが過ぎるとよく怒られることがあります。
ただ私は笑いをとりたいだけなのに…
笑いが生まれるにはいくつかの法則がありますよね。
単純には下ネタを交えること、また緊張している時、常識ではありえないことも笑いのチャンスです。
特にビッグウェーブを狙いたいなら、それらすべてを網羅することが大切で、そのチャンスはそうそう起こることはありません。
例えば、お葬式で最前列の身内が大きな屁をこくという場面は分かり易いことでしょう。
いくら悲しくても、おそらく大半の人が笑ってしまうのではないでしょうか。
後々の語り草になることも間違いありません。レジェンドウェーブです。
先日子供たちがゲームをしているのを観察、話を聞いていると
どうやら獲得したいアイテムがあるようで、そのために二時間も続けていました。
いざ、その場面が訪れたときに一言、一度獲得を破棄すると、もっといい武器が手に入るらしいよと告げると彼らはそれを鵜呑みにしその通りに行動、私…意外に信用されているんですね。
案の定、アイテムは破棄され、武器ももちろん手に入らず。
捜査していた男の子は絵にかいたように項垂れ、周りは爆笑の渦。
私はその場からさっと身を隠しましたとさ。
おふざけが過ぎましたかね??
「ふざける」の由来
いくら頭を捻ってもそれが出てこない。
そんな嘘はいけませんね、実は携帯でさくっと変換。
「ふざける」の漢字が出てこない。
詳しく調べるとやっと出てきた「巫山戯る」、当て字と言う説もあるようですが、どうやら「巫山」とは実際に存在する中国の山のよう。
「巫山」は「ふざん」と読み、中国四川・湖北両省の境にある名山。
かの有名な長江が山中を貫くように流れていて、巫峡をつくりあげています。
いわゆる絶景を思い描いてもらえばよろしいかと。
「山は重畳にして天日を隠蔽する」というフレーズが存在するように、巫山でざれよう(あそぶ)とするのはたわけ(バカ)のやることであるという意味から「ふざける」がきたというわけ。
実に深い渓谷からきたお話ですね。
「ける」は「たわけ者(たわけもの) 」からきた「戯わく」から。
※「たわけ」は「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞となった言葉。
ギリギリの状況でおふざけをしてしまう、まさに私の笑いに通じるところが…
それほど高貴ではないですね。
あんたがたどこさ - 2016年1月8日, 12:20 PM
これは、その通りだと思います。
ただ一言付け加えるなら、巫山はあまりにも絶景。
ならば、感動ひとしお。その場の感情はどうでしょう。
すごく、喜び?に満ちた状態。興奮してやまないのではと推測できると思います。
ですから、その場ではしゃぐ。それが、関係ないことろで「はしゃぐ」「じゃれる」というところから、巫覡(ふげき・たわむれ)となって、周りに迷惑をかけるから「するな」「しなさんな」「しないの」ということで、『ふざけるな』という事になってきたのではと思います。
針葉樹 - 2016年2月16日, 3:01 AM
他人の努力を踏み躙るような真似はどうかと思いますね
あたかもそれが面白い話のように語るのも本来反省をするべき所かと
以後気をつける事をお勧めします。
針葉樹 - 2016年3月9日, 12:53 AM
人の努力を無意味に踏み躙る真似は如何かと思います
それで笑う周りも周りかと ましてやそれを笑い話のように書くのもどうかと思います
あ - 2017年2月12日, 3:01 AM
巫山戯る。山は霧、晴、雨、雪、水、多様な生き物たちなど、様々な幻想的なものを魅せてくれます。
お葬式で故人を偲ぶことは通過儀礼ではありますが、故人と一緒にいる最期だからこそみんなで笑顔で送ってあげたいという心遣いと私は思いました。
河童工房 - 2017年4月24日, 5:26 PM
巫山というのは 春をひさぐ人たちがいたので
展示て男女のエッチのことを指します。
つまり 女色に溺れ顧みないのはいい加減に城という意味から巫山蹴る
となったとも。
河童工房 - 2017年4月24日, 5:34 PM
「巫山の雲雨」といえば男女がしっぽり濡れることの例え。
そこも関係ありそうです。
RIKI - 2017年7月13日, 12:30 PM
コメント欄の人たち…語源語る前に漢字と日本語勉強しよ?
ガイG - 2017年11月17日, 1:39 PM
嘘松定期