「ほとぼり」 の由来
人の記憶とはたかが知れています。
大きく心を動かされても、ノートにメモしたり心で何度も繰り返したり、日々そのことを心がけ続けていないと忘れてしまうものです。
でも、だからこそ、生きていられるのかもしれません。
人生いいことばかりではありませんからね。
大きく傷ついたとしても、一度眠るとその傷の半分ほどは癒え更に数ヶ月を過ぎると大概のことは忘れてしまうものです。
だから経済もまわるのでしょう。
どんなに欲しい物があったとしてもそれを手に入れて最初の感動さえあれ、一年も経ちローンも終わった頃には次のものが欲しくなります。
それでも大きな過ちを犯したときには、たくさんの時間の経過が必要です。
その時間の長さがその罪の大きさとも言えることでしょう。
それをよく「ほとぼりが冷める」といいます。
私にもそろそろ冷めてきたほとぼりがあります。
冷め始めて思うのは、自分が思うほど世間の人は憶えていないってことでしょうかね。
だから人は生きていられるのです。
だから芸能人はやってられるのですね。
それをネタにしながらね。
■「ほとぼり」の由来
冷めるというくらいなので、きっと「ほとぼり」という言葉自体に意味があるのでしょう。
ということで調べてみると、「ほとぼり」の「ほと」の部分は「熱」とかくのだそうです。
「熱」と書いて「ほと」と読みます。
火を消したあとも温かいその熱を指す意味から転じて人の熱っぽい感情や興奮・熱狂、それに強い関心の名残を示す言葉となりました。
神代紀(700年代に作られた日本書紀の一部)にこの表現が出てくるそうなので、かなり古くからある単語のようです。
江戸時代までは「ほ とほり(火通)」と濁らずに読んでいたそうで、「ほとおりが冷める」で、熱気・余熱が冷めるという意味で使用していたようです。
それが濁って「ほとぼりが冷める」になりました。
また、火事で燃えてしまった道が、しばらくは熱を保っていたからそういう言葉が生まれたのではないかという説もあるようです。
火というのは点けるのは中々大変ですが、一度点けば燃料次第で燃え上がり、種火さえできれば小さなものでもくすぶり続け数日燃えているものです。
これは正に人間の心理に近い気がします。
お金の生まれる場所に人が群がりむさぼり切ったところで、誰かが後処理をさせられます。
引き際が肝心なのでしょう。
くすぶる火の番をしながら「ほとぼり」が消えるのを待つ。
そっと火に手をやり、周りから見えないように隠しながら熱が冷めるのを待ちます。
その熱のもたらした恩恵を忘れないようにしたいものです。
火は何も悪くないのですから
。悪いのは火の扱いを間違えた我々なのですから。
マリオ - 2017年10月21日, 11:41 AM
素晴らしい、ライティングです!
味があります。
もいゆら - 2018年7月5日, 8:46 PM
ほーなるほどぉ